■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ Subject:「GO WEST」 みなさん、こんにちは。鈴木直広です。 お久しぶりの人もいますね。 仕事をやめてブラブラしているついでに、旅行に出かけました。 お金がないので貧乏旅行です。でもドライブ好きなのでクルマでの旅。 今、出雲大社で有名な島根県出雲市にいます。もうすぐ山口県という ところです。 一部の人は知っていると思いますが、ボクはちょうど去年の今頃、クルマに 乗って東日本をまわっていました。「みちのく独り旅」と名付けて(^^; 東京から太平洋側を北上し、仙台、中尊寺、十和田湖、八甲田山を経て 青森に抜けて津軽半島の先端の竜飛岬まで。 そのあと日本海側を南下し、新潟まで行って東京に戻りました。 高速道路をいっさい使わずに、あちこち寄りながらドライブして いたので、けっこう日数がかかりました。 そして先日クルマを新調したのをきっかけに、前回の続きをはじめました。 今回は西日本編です。もちろん気ままな独り旅。 まず、一年前チェックポイントとした新潟県上越市がスタート地点。 そこからひたすら日本海沿いを国道や県道ばかり走って、西へ向かっています。 クルマの性能は格段にアップしたのですけど、今回は距離が長いので お金を非常に節約してます。ほとんどをクルマの燃料代に充てるべく。 いままで4泊ずっと車中泊。食事はコンビニのおにぎりや自炊がメインです。 キャンプ道具一式を積み込んでいるので、携帯ガスコンロと小型ナベで 簡単なレトルトものやスープくらいは作れます。 倒した後部座席背面から荷室にかけてキャンプ用エアマットと寝袋を 敷くと、むりやりですけど、寝るスペースができます。 前回のGolf2は車内が狭く横になるのが辛かったのですが、 Audi80Avantはワゴンなのでギリギリ足を伸ばして横になることができました。 上越から富山、能登半島をまわり、金沢、東尋坊、永平寺、越前、敦賀、若狭、 天橋立、丹後半島もまわり、鳥取砂丘、松江から出雲と来ました。 どこまで行けるかわかりませんが、あちこち寄り道をしつつも、 とにかく西へ向かおうと思います。 クルマを旅仕様にした話や、寝る場所の話、風呂の話、風光明媚な場所の話、 そしてコワーい話など、いろいろとしたいのですが、車内でノートパソコンの キーを叩くのはけっこうシンドイです。 詳しくはまた今度のメールにします。 近いうちにはボクのホームページに、デジカメ画像とともに詳しいルートや 日記なんか掲載できればと思っています。 朝になったら出雲大社で交通安全のお参りをするつもりです。クルマの お祓いもできるらしいので。 大つぶの雨が降ってきました。また今夜も蒸し暑い夜になりそうです。 99/10/12 夜 「道の駅:出雲」にて ----------------------------------- 鈴木直広 / Naohiro Suzuki E-mail : naohiro@cyborg.ne.jp http://www.cyborg.ne.jp/~naohiro/ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ Subject:そろそろ折り返し みなさん、こんにちは。鈴木直広です。 「旅メール その2」をお送りします。 今夜はのんびりできそうな場所なので、とても長い文章です。 お急ぎの方は時間のある時にご覧ください。 東京を発ったときの総走行距離メーターは19815km。 現在は22865km。気がつくと、もう3000キロ以上走っていました。 ボクは今、鹿児島県の阿久根市にいます。 国道3号線に沿った「道の駅 阿久根」に駐車しています。 薩摩半島の西側で半島の付け根のあたりになります。 すぐ目の前が海で、これが日中なら東シナ海が遠くまで見えるでしょう。 今は、漁船の明かりと月明かりが反射した静かな海面が見えるだけ…。 出雲大社で厳粛な安全祈願をクルマにしてもらったあと、 途中、道で人に声をかけられて隣りの市まで乗せていったり、 あいかわらず日本海沿いを進みました。 山口県の萩で松下村塾に寄り、一気に下関まで行って 関門トンネルを通って九州、福岡県へ。 念願の九州初上陸はあっけないものでした。 北九州市小倉で小倉城のライトアップ姿を眺め、同市内若松区にある 友人のご実家に泊めていただきました。 まったく初対面の薄汚れた男を丁寧にもてなしてくれて、 入浴と久々の布団、洗濯までしてもらって、感謝の言葉が足りません。 夜遅くに案内していただいたのは、すぐそばの高塔山公園からの夜景。 北九州の夜景がそれはもう、ひときわ美しく感じられる夜でした。 九州は広いです。 有名じゃない岬やたいしたことない神社に寄っていると、やたらと 時間ばかりが過ぎていきます。 それでも、地図を見ながら、道の看板に誘われるまま、何かあるのかなと 寄り道ばかりしてしまうのです。 福岡市の博多では久しぶりに賑やかな都会を感じ、ついつい 夕暮れの繁華街を歩き回ってしまい、人恋しくなっている 自分に気づきました。 福岡ドームを見て、教えてもらった有名な店で博多とんこつ ラーメンを食べると、そうそうに出発。 佐賀県に入って唐津市。唐津城がライトに浮かぶ目の前の、小さな漁港に クルマを停めました。港の堤防には釣り人が数人いて、静かな漁港に 静かな釣り人が似合っていました。 今夜はこの辺りで寝ようと決めました。 寝る場所、つまりを朝までクルマを停めておく場所というのは なかなか慎重に選択する必要があります。 クルマであってもどこでもいいわけではなく、他人に邪魔されず 合法的な駐車スペースで、できれば起きてすぐ顔を洗えるような キレイなトイレがある場所。 そして、翌日のルートを考えて、明るい間に通りたい道の手前であること。 そんな条件に合うのは「道の駅」です。 国道や主要幹線道路にある休憩スペースで、トイレと広い駐車場があり、 場所によっては地域の観光情報があったり地元の名産品が売っていたり 温泉まで併設していたりと、高速道路のサービスエリアに近いスタイルです。 でも「道の駅」がどこにあるかわかりにくく、走っている道路にあるか どうか不明。また、寝るタイミングと進行方向、そして翌日向かう方面を 考慮に入れると、たまたまあればそこで寝るといった感じです。 自然の風景を好んで田舎道ばかり走っているため、日中は快適ですが、 夕方それも午後4時ごろから薄暗くなってきます。風景を楽しむのは 明るい間しかありません。 だから、寄りたい観光地があれば明るいうちに到着できるよう考えます。 また半島めぐりなど山あいの道を走るときは十分考えないと、真っ暗で 狭い山道でツラい思いをしながら運転することになります。 京都と兵庫の北部にある丹後半島は失敗でした。 若狭湾沿いを走っている間に暗くなり、天橋立のあたりなら有名な観光地 なので大丈夫かと思ったら、「道の駅」やほかの良さそうな場所が 見つけられず、そのまま丹後半島へと進みました。 半島を周回しているのは国道だから大丈夫だろうと考えていたのです。 国道といっても3桁の一般国道なので、途中で1台ギリギリの道幅しか ないくらい狭くなったり、すぐ下は崖になっている山道、それも あたりには街灯や民家がまったくない真っ暗な道でした。 それでも進んで行ったのは「道の駅 伊根の里公園」があると分かって いたからです。 しかしこの「道の駅」は人里離れた場所にあり、トイレはクモの巣が 張り、夜遅くなると照明が消えて真っ暗になる山あいの公園でした。 強い風で草木が揺れる音だけが聞こえる中、蒸し暑く寝苦しい夜を 過ごしました。 だから寝る場所はよく考えるわけです。 要は、人の迷惑にならず、うるさくない。だけど寂しすぎない場所。 漁港の朝はとても早いです。 未明から漁業関係の人々が働き、漁船が出て行きます。 よく眠れなかったなぁ、と思って見回すともうすっかり漁港から 人がいなくなっていました。 唐津を出て、佐賀県北部の東松浦半島をまわりました。 雨が降りしきる中、呼子大橋を渡って加部島をめぐると、島の奥では 牛が放牧されていました。放牧といえば高原のイメージがあるので、 海に面したところの野原に牛がいるのは不思議な光景に見えました。 このあたりでは「イカの活造り」が有名です。つまり生きたままの 新鮮なイカを食べるわけです。 大橋近くで良さそうな店を見つけ、注文してみました。 足やヒレの部分が動いていました。イカは半透明なのです。よく見ると“斑” (茶色で模様のように見える表皮の一部)が動いているのがわかります。 身は細長く切ってあるのですが、下足は自分でハサミを使って切ります。 しょう油に浸すと余計に足が動いて、そのまま口に入れると動いている のが分かると同時に、吸盤が舌にくっつきます。 味はまぁ、新鮮なイカ。ただそれだけ。 長崎県に入るとそのまま、渡橋できる島では九州最西の島へ 向かいました。 平戸大橋を渡って平戸島。平戸城やオランダ商館跡、教会を観たあと、 生月大橋へ。生月島には何があるというわけではないのですが、 橋で渡れる島があるなら行ってみたいと思っただけです。 この島で、またも漁港で夜を迎えました。 曇っているがなんとか雨は降らずにすみそうな朝。 せっくだから生月島の北端にある岬の灯台へ寄ったあと、来た道を戻り 南下をはじめました。 佐世保ではしばらく脚を止めました。 クルマの電装系のヒューズがとんでしまったのです。 このクルマは旅仕様にちょっとだけいじってあり、シガライターソケット を使いやすいよう別の位置に付けてあります(AC/DCコンバーターで 家庭用電源を取るため)。ノートパソコンやデジタルカメラ、携帯電話、 携帯MDプレーヤー(カーステレオにつないで聴く)といった機器を 充電する必要があるためです。 その配線と液晶テレビの配線につながったところのヒューズでした。 ヒューズだけ交換しようと思ったら、店の人が配線自体も手直しして くれました。さらに、前から気になっていたコード類を取り付け直して から出発。 ハウステンボスやオランダ村をちらりと眺めながら(お金がないので 入場はしない)、ひたすら外側を、右側に海を見ながら走って、長崎市へ。 平和記念公園、出島跡地、馬頭公園(坂本龍馬の像がある)へ 立ち寄りました。 暗くなって来たので急いで島原半島へ向かい、半島をぐるりと半周して、 島原市のとなり、深江町にある「道の駅 みずなし本陣ふかえ」で 夜を過ごしました。 完成したばかりのきれいな「道の駅」でもあり、土曜の夜ということで、 夜遅くなるにしたがい若い人たちが集まってきました。 広く滑らかな駐車場があるので、スケートボードの練習場になっている ようでした。それだけならいいのですが、集まって騒いでいるグループも いて、それはうるさい夜でした。 騒々しくてあまり眠れなかったので、遅めに起き、島原城や武家屋敷を 見た後、再度この「道の駅」へ戻りました。 このあたりは雲仙普賢岳の噴火で災害に見舞われた場所で、埋もれた ままの姿で家屋が保存され、一般に公開されていました。 さらに、この「道の駅」は温泉施設が併設されているので、ゆっくりと 入浴するために戻ったのです。 鳥取の砂丘温泉に入ったときもそうですが、体をたんねんに洗い、 風呂に浸かったあと、牛乳を飲みながら新聞を広げてタバコに火を 付けると、なんともじっくり休憩できたような気になるものです。 至福のときというやつでしょうか。 じゅうぶん休憩して気合いを入れ、普賢岳を登りました。 そこは硫黄の匂いがたちこめる雲仙温泉の旅館街になっていました。 日曜だったので観光客も多く、道路へも煙が吹き出る中、ここらで入浴 すれば良かったと後悔しながら山を下って、有明海へ。 ニュースになった諫早湾干拓地にある、海を堰き止めてしまう長い長い 潮受け堤防を見つけ、その外と中を見比べました。 「ムツゴロウより人間のほうが大切」だったか当時の閣僚が言った言葉が 浮かびました。農業関係者がどう困っているか知らないけど、ムツゴロウは 死んでしまうんだよなぁ、コメが余っているのに今さらこんなこんな広い 土地を耕作用地にするのか、日本は公共土木建設事業に頼る経済の体質が…、 なんてことを考えてしまうのでした。 熊本県に入り、熊本市では熊本城と市街をまわって、宇土半島の不知火町に ある「道の駅 不知火」についた頃にはすっかり夜も更けていました。 朝は寝坊して、また「道の駅」併設の温泉に入ってから行動開始。 朝風呂は最高です。そしてもちろん、入浴後はコーヒー牛乳。 「天草パールライン」と名の付いた天草五橋を渡って行く道は、天草諸島の 島々を眺めながらの道で、碧い海と島の松林の緑が美しい景観でした。 上島で日本一の恵比寿像を見たあと、松島で天草四郎メモリアルパークに 寄って四郎像を見たり、下島では本渡市にある切支丹館に寄りました。 ぐるりとまわって引き返して熊本県を南下し、八代市や水俣市を抜けて 鹿児島県に入り、「道の駅 阿久根」に到着したのです。 ●今回の旅の方針。 (1)高速道路を使わず、できるだけ海沿いの道を走ること。 反時計まわりなので常に右手に海を見ながら。 でも無理しないで国道をメインに走り、適当な割愛部分もあって良し。 (2)自然の景色を楽しむこと。 辺境の地(地元のみなさん、ごめんなさい)を好んで走る。 でも暗い田舎道は避け、無理しない。暗くなったら分かりやすくて 大きな国道を走る。 地図をよくみて、起きたときに気持ちのいい場所で寝るよう行動する。 (3)面白そうな名所旧跡には立ち寄ること。 ただしある程度は選ぶ。道のりは長いので。 また、暗くなってからは、仕方がないので涙を飲んで通過する。 (4)旅の記録にデジカメを最大限利用すること。 しかし高画質にすると30枚しか撮れない。ノートパソコンへの転送に 時間がかかるため、結果的に1日30枚の制限を課すことになった。 のちにホームページ作成の材料とするため、分かりやすい被写体を選ぶ。 (5)できるだけお金を使わないこと。 ガソリン代、これだけはどうにもならない。 価値なしと判断した観光施設には一銭も使わない。 今まで永平寺と出雲大社の祈願料と有料架橋にしか払ってないはず。 観光客相手の高い料理に手を出さないよう努める。 (6)気分よく走ること。 とばすところではスピードを出してクルマの性能を楽しみ、 景色の良いところではゆったりと走る。 (7)燃費計算をすること。 レギュラーガソリンとハイオクとの燃費比較をするため。 (8)ヒゲを剃らないこと。 面倒なので。出立時もすでにかなりのびていたけど。 という感じで、まだまだ続きます。 1999/10/18 22:00 鹿児島県阿久根市 「道の駅 阿久根」 ----------------------------------- 鈴木直広 / Naohiro Suzuki E-mail : naohiro@cyborg.ne.jp http://www.cyborg.ne.jp/~naohiro/ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ Subject:九州後半編 みなさん、こんにちは。鈴木直広です。 「旅メール その3」をお送りします。 またもや、とても長い文章です。 お急ぎの方は時間のある時にご覧ください。 ボクの今の現在地は秘密にしておきます。 日々の日記メモからメールの文章へと書きまとめるのが かなり遅れているだけで、実は、はるか先へ進んでいます。 先日の続きから。 朝、鹿児島県阿久根市の「道の駅 阿久根」で顔を洗ったり準備をして いると、隣のクルマから怖そうなパンチのオッチャンが出てきて 「兄ちゃん、どこから来たん?」。この夫婦もこの駐車場で夜を明か したようで、簡単な話をしました。「道の駅」では県外ナンバーの 旅行者とよく出会います。 薩摩半島を南下し、半島の西側にある野間半島をまわりました。 国道だというのに、狭い部分が多い山道で、閑散とした風景でした。 海沿いの山道は運転はキツイのですが、ひらけたところの断崖絶壁 からの眺めは気持ちよく、碧い海と入り組んだ海岸線の眺めが 美しい。行き交うクルマも少なく、とくに静かな海でした。 枕崎市を通り、薩摩半島の先端へ。ここには開聞岳という半島から 海に突き出たピラミッドのような山があります。夕方になりはじめて いたので夕日のせいで開聞岳が映えて見えました。その近くの 日本最南端の駅「西大山」に寄ると、駅には「日本最南端の駅」と 看板が1枚あっただけでしたが、ちょうど駅から開聞岳が見えて、 気に入った写真を撮ることができました。 薩摩半島の先端には長崎鼻と呼ばれる岬があり、観光地にはつきものの 土産屋があったり、動物園があったり、いかにも田舎の観光地らしさが イイ味を出していました。 薩摩半島の内側に沿って少し北上すると「道の駅 喜入」があり、 ここは「喜入八幡温泉 保養館」という温泉が併設されていて、 もちろん入浴していきました。 さっぱりした後、北上を続けて鹿児島市へ。 もうすっかり夜になっていたので、目の前に見えるはずの桜島も 見えず、「城山公園」にだけ立ち寄りました。高台にあって、 鹿児島市の夜景が一望できるこの公園は、西南戦争の際に西郷隆盛が 自害した場所とか。公園近くにある隆盛像の写真を撮ってから 鹿児島市を出て、鹿児島湾をぐるっとまわって国分市へ。 朝になったら桜島をまわるため、桜島の手前あたりで泊まりたい ためでした。駅前や公園を探したのですが寝るのに適当な場所が 見あたらず、しばらくうろうろした後、「国分海浜公園」という 海水浴場とキャンプ場が一緒になったような公園の駐車場に 決めました。 朝になって海へ歩いていくと、雄大な桜島が目の前に見える砂浜で、 ここでキャンプしたらさぞ気持ち良さそうな場所でした。炊事場で 顔を洗い出発。 湾に沿ってクルマを走らせて行くと、だんだんと桜島が大きく見えて 来ます。はじめは分からなかった噴煙も見えて来ました。 桜島はちょうど島のようになっていて、周囲を1周まわる道があります。 時計回りにまわったので、右側に桜島(御岳)を見ながらまわりました。 あちらこちらに溶岩の固まりがあり、住居の近くにはコンクリートの 避難壕もありました。途中、噴火した記録にと埋没したままの姿を とどめる神社の鳥居も見てきました。 桜島をまわった後、今度は鹿児島東側の大隈半島を南下しました。 周回するのによさそうな道路がないので、半島の中心を通る県道を 南下し、夕方近くなって暗くなりはじめた山道をドキドキしながら (えんえんと続く山あいの道で暗くなると、大変なことになる) ようやく先端の佐多岬の入り口へ。岬へは佐多岬ロードパークと いう有料道路になっていて、料金所のゲートは閉まっていました。 17時に閉まるということでボクが着いたのは17時10分。料金所の おばさんと話したけど、ここから先は私道なのでどうにもならない。 ボクの直後には姫路ナンバーのクルマが来て、おばさんから話を 聞いてこのあたりで朝まで待つことにしたようでした。 ゲートの写真だけ撮って、ボクは引き返すことにしました。 ボクの中では、ここまでよく来た、と自分をなぐさめながら。 半島内側の海沿いの国道に出て北上し、宮崎県との県境に近い 曽於郡大崎町の「道の駅 くにの松原おおさき」で夜を過ごす ことにしました。この「道の駅」は新しく設備の整ったところ でした。広くて明るい駐車場があり、安く入浴できる温泉があり、 裏手には大きな公園とキャンプ場もあるらしいし、すぐ近くは 美しい松原があるようでした。 バイクの旅行者が数人いて、テントが3つほど立っていました。 新潟ナンバーのオフロードバイクの持ち主らしい人が、テーブルに 携帯コンロを置いて新聞を広げ、かなり旅慣れた感じ。話しかけると、 やはり旅行者で、かなりあちこちまわっているようでした。 新潟から中国地方を通って九州入りしたとのこと。九州はボクと 反対に時計回りにまわって、鹿児島から沖縄へ行くそうでした。 彼はすでに北海道もまわっているとかで、今まで通ってきた道のこと を話しました。ボクは長崎や天草のことを、彼は阿蘇のことなどを。 別のグループは若い兄ちゃん3人で福岡から来ているようでした。 温泉に入ってから、ボクも彼らの近くにテントを張って、この 旅行で初テント寝の夜となりました。 テントを張った後も、新潟の彼としきりに旅話を続けてました。 彼がテントに入ったあとも、ひとりテーブルに残り、ノートパソコン を開いて、思うことをつらつら書いていたので、すっかり湯冷めを してしまいました。 … 九州南部でも夜は冷える。 彼は鹿児島まで行った後、沖縄へ渡るそうだ。急ぎらしいので、 九州はあまりゆっくり見ていないようだ。しかし北海道の話など 聞いているとうらやましくなってくる。 バイクとテント生活の気軽さはいい。燃料代も安いし。 バイクの旅は良さそうだ。 そのあと、テーブルでパソコンを置いて、ひとりメールのチェックを しているとネコが寄ってきて甘える。しばらく足にまとわりついて いたが、ベンチに上がってボクの腰に寄り添って丸くなってしまった。 寒くなったのか、甘えているか、エサをねだっているだけなのか。 しかしひとりと一匹で座っているだけで、なんだが心が落ち着くのは なぜだろう。わりと毛並みのきれいな、まだ若いネコ。静かにボクの すぐ横で丸くなっている。 でも今日は、初のテント寝なので、そろそろテントに入らねば ならない。 「もうしわけないが、もうキミの相手はできない。じゃあ」と 別れを告げた。 久々に人と長く話しをしたあと、遠い地で夜も更けた中に、 ひとりでいると感傷的になりすぎる。 … 翌朝未明、トラックが走る振動や音と、福岡の3人組の話し声で かなり早くから目が覚めました。というより寒くて起きたのです。 クルマの中がいかに暖かいかよくわかりました。 みんなでテーブルを囲んでそれぞれのスタイルで朝食を取りました。 すぐ近くのコンビニで買ったパンと牛乳とか、携帯コンロで湯沸かし して作ったスープとか。 すっかり夜露に濡れてしまったテントを乾かしたり、歯を磨いたり、 荷物をまとめたりとそれぞれ準備をして、バイクのみんなは出発 して行きました。手を振って彼らを見送ってから、ボクはゆっくり 出発しました。 宮崎県に入って、県南端にある都井岬へ向かいました。ここは岬馬 と呼ばれる野生馬が自然の姿で生息していることで有名です。 管理寄付金を払ったあとゲートから先は、道路だろうと宿泊施設前 だろうと馬が歩き回っていて、馬と馬糞に注意しながら運転する 必要がありました。 宮崎市までの海沿いの道は「日南フェニックスロード」という名が ついていて、碧い海に白い波が押し寄せる美しい砂浜の海岸線に 沿った、南国風の樹木が植えられた走りやすい道路でした。 波のあるところではサーフィンをしている姿も多く見かけられ、 最高の気分でドライブを続けていくと、宮崎市へ。 たいてい市街地は素通りすることが多いのですがここも同様で、 ただ市の郊外にあるシーガイアだけ立ち寄りました。有料駐車場や 有料施設は避けて、写真を撮っただけ。 九州の東側の海岸線を北上し、大分県に入る手前の延岡市で内陸部へ 入って行きました。翌朝の目的地が阿蘇なので、できるだけ阿蘇に 近いところで夜を迎えようと考えて、山道へ向かったのです。 ちなみに、ボクが通った阿蘇へのルートは遠回りで、阿蘇へ行くには 鹿児島からの方がだんぜん近い。また宮崎県から鹿児島県へ戻って しまったことになります。 本当は手前の、阿蘇と延岡市の間にある「道の駅 青雲橋」で夜を過ごす つもりだったのですが、時間が中途半端だったのと施設がイマイチ だったために先へ進んでしまいました。高千穂か高森あたりに何か あるかと思ったら見つからず先へ進んでしまいすっかり暗くなって、 ドキドキしながらここまで進んでしまったことを後悔しながら山道を 走っていました。 ふとキラキラと光る明かりが道路沿いに見え、ホテルかレストランかと 思ったのですが、気になって戻ってみると広い駐車場に白い軽自動車が 停まっている。軽は地元の人の足だから、これは!と思ってよく見ると、 やはり温泉でした。 「阿蘇白水温泉 瑠璃」。丸太組みの大きな建物とオレンジの照明が キレイでオシャレな温泉。レストランや宿泊施設も完備していて、 夜10時まで入浴できるのがとくにうれしい点でした。 利用客が少なかったので露天風呂を独占し、ひとり悦に入って月を 眺めながら入浴できました。昼間だったら、山々を眺めながらの 入浴だったでしょう。おまけにキレイな大広間も独占し、地図を見て 今日のルートをメモしたり、コンセントを拝借して電源をとって パソコンを広げ、デジカメ画像の転送やメールチェック。 閉館時間になり、クルマをこの温泉の駐車場隅に停めて、夜を過ごし ました。 翌朝、温泉すぐ近くの村営グラウンドのトイレで顔を洗い、出発。 阿蘇山をまわる国道を走り、噂に聞いていた「大観峰」へ。 カルデラ外縁部から下の町を眺めることができる峰で、それはもう 雄大な眺めでした。あいにく薄曇りの天気だったため、阿蘇山の 山並みの頂は見えなかったのですが、尾根というか屋根の上を走り 続けるような高原の道は気持ち良く走ることができました。 展望台には各地からのクルマやバイクが集まっていました。とくに バイクのグループが目立ち、バイクツーリングだったらさぞ快適な 道だったろうと思いながら、自動二輪の免許がない自分がバイクの 旅行に惹かれていることをつくづく感じたのでした。 山間の道を通って大分県へ入り、さらに農村地帯を抜けて大分市へ、 そして海岸線に沿って別府市に入りました。別府なら温泉。 市街中心のガソリンスタンドでオススメの浴場を尋ねると、市内の 細かい地図を出して来てくれて、スタンドの兄ちゃんが個人的に 気に入っている露天風呂を教えてくれました。 ボクもその温泉には、とても気に入りました。 墓場にクルマを停めて少し歩くと、土の地面が掘ってあり、板を 渡しただけの手作りの露天風呂。もちろんだれに金を払うことも なく、管理している人もいない。一応、ボロ板で囲んだだけの 更衣場あるけど、女性には向かないでしょう。こんな露天風呂 ですが、仕事帰りの地元のおじさんが入れ替わり来ていました。 山に囲まれてまわりは草木しか見えず、見上げると月。ちょうど 日が暮れてきて、もう少しすれば月明かりだけになるところでした。 そのすぐ帰りに、バイク旅行者からこの温泉への道を聞かれたので、 逆にどうしてこの温泉を知ったのか尋ねると、「アウトライダー」誌 に載っていたとのこと。この雑誌、話に聞いたことがあって、林道 ツーリングや秘湯に詳しいバイク雑誌。あとで調べてみると、この 温泉は地元有志が作った露天風呂で、比較的たどり着きやすい秘湯で あるとか。もっと道のりが困難な秘湯も多く載っていました。 ボクはこの露天風呂の名称や地名を伏せることにします。興味がある 方は自分で調べてください。今後デジカメ画像を披露することがあれば、 ヒントになる画像が出てくるかもしれませんが。 九州北東に突き出た国東半島をまわりながら、夜過ごす場所を探して 走り続けました。フェリー乗り場や小さな漁港、そして海水浴場など も寄ったのですが、なかなか良さそうな場所が見つかりません。 こんな時は緊張します。夜も更けつつあり、思い切って、大分県と 福岡県の県境近くを内陸に入り、下毛郡本耶馬渓町へ行きました。 ようやく「道の駅 耶馬トピア」に着き、クルマを停めました。 朝靄が出るほど寒い朝、体がだるく節々が痛むのを感じました。 ノドも痛んでツライ朝でした。 耶馬渓では、菊池寛の小説「恩讐の彼方に」で有名な「青の洞門」 と、名勝として名高い「羅漢寺」に寄りました。羅漢寺は切り立った 崖の途中にある寺で、そこから見える耶馬渓の景観も名勝に相応しい ものでした。 熱っぽく、ぼぉっとしながらも運転を続け、海沿いに北上して福岡県 へ入り、門司港そばの和布刈公園へ。しばらく海を眺めていました。 ここから関門海峡と関門橋が一望できるです。 ボクはこの海峡の地下を通って九州へ入り、またここから出ていく わけです。ちょうど関門トンネルは工事のため通れず、目の前に 見える関門橋を渡って行きます。 山の上の公園から下りて、海を眺めて岸壁に座っていると、 ふらふらしてきました。 疲労と湯冷めと朝晩の冷え込みで、すっかり風邪を引いたようで、 無理をし過ぎたようでした。それにこの夜は、先日お世話になった 北九州市の家に再び泊めていただくことにしたので、緊張の糸が 切れてしまったのかもしれません。 北九州市若松にある友人のご実家では、またも、暖かく迎えてくれ ました。せっかく歓迎してくれたのですが、熱が38度4分もあることが 分かり、ゆっくり話をする間もなく、ボクは布団に入って休むこと にしました。 ツライ一日でした。 自分の体力の無さが悔しく、自分自身に情けなく思いながら、 そして熱と頭痛と鼻水とノドの痛みに苦しみながら、悶々とした夜を 過ごすうちに、眠りにつきました。 いただいたクスリが効いたようで朝になると熱が下がり、といっても まだ熱はあり、ノドも痛かったのですが、いつまでも世話になるわけ にもいかず、昼過ぎには出発することにしました。 またも暖かい部屋の布団と、ぜいたく過ぎる食事と、清潔な風呂と、 たまった洗濯までしていただいて。 そして門司へ向かい、関門橋を渡り、長い長い九州一周を終えたのでした。 さて、どこから四国へ渡ろうか。 ----------------------------------- 鈴木直広 / Naohiro Suzuki E-mail : naohiro@cyborg.ne.jp http://www.cyborg.ne.jp/~naohiro/ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ Subject:瀬戸内から四国へ みなさん、こんにちは。鈴木直広です。 「旅メール その4」をお送りします。 また、長い文章です。 お急ぎの方は時間のある時にご覧ください。 先日の続きから。 下関で関門橋を渡って本州へ来たわけですが、こういう大きな有料架橋は 高速道路の一部になっているため、高速道路に入る必要があります。 ボクは今回、高速道路を使わない方針で走っているので、橋を渡るだけの 最低区間になるよう、インターチェンジに入って橋を渡り、すぐ次の インターチェンジを出ていきました。 山口県南部の海岸沿いを走り、宇部市、秋穂町、徳山市などを通って 岩国市へ。 途中、瀬戸内海に浮かぶ屋代島という渡橋できる大きな島があって、 寄って行きたかったのですが、北九州を出たのが遅かったために すっかり暗くなっていたので諦めました。 それに、まだ熱っぽく鼻をかんでばかりいたので、無理をしないで 先へ進むことにしたのです。 岩国市へ着いたときにはもう夜も更けていて、目的の「錦帯橋」は 有名な観光地なのに人影もなく、寒い中で独り、川の流れる音を 聴きながら、錦帯橋を眺めました。 もうここらで朝を迎えようとあちこちまわったのですが、あてにして いた岩国運動公園はゲートが閉まっていたので、仕方なく錦帯橋そばの 駐車場に停めて寝ました。 目を覚ますと、観光バスの団体が多い観光地の風景になっていました。 観光客の集団は苦手なので、急いでその場を離れ、運動公園に行って 体育館のトイレで顔を洗って出発しました。 山陽道を広島県に入るとすぐにあるのが「宮島」。ここはどうにも 明るいうちに島へ渡りたくて、そのために岩国で夜を過ごしたわけです。 宮島行きフェリー乗り場のあたりは有料駐車場ばかりで、節約の旨を 全うすべく、近くの銀行の駐車場にクルマを停め、歩いてフェリー 乗り場へ行きました。いちおう、その銀行も利用したので、ちょっと だけの間だから許してね、と自分を擁護して。 よく晴れた日で、宮島へ渡るJRフェリーの甲板上は気持ちのいい風が 吹いていました。渡るといっても、島は目の前に見えていて、ほんの 数分の間でしたが、船に乗るのは何年かぶりだったので、新鮮な気持ち で船上からの風景を楽しみました。 瀬戸内海に浮かぶ「厳島神社」の鳥居が大きく見えてきて、雑誌や テレビなどでよく見てきた光景のとおりです。青い空の中、緑の松林と 碧い海に、朱色の神社と鳥居が映えていました。 聞いていた話のとおり、放し飼いの鹿がたくさんいました。 潮が引いた干潮のころだったので、神社は海の中ではなく砂浜に 建っていました。入館料が取られるので境内には入らず、神社の まわりをぐるっと歩いてまわり、戻ることにしました。 宮島は自然が残る美しい島だそうですが観光客が多いところで、 ボクはこういう場所が苦手なので、いつの間にか足を早めてしまい ます。自分自身が観光客であり、自分でそういった有名な場所を 選んで立ち寄っているということはよく分かっているのですが、 グループや団体が多い観光地ではゆったり落ち着くことができ ないので、観るべきものだけ観てさっさと引き上げることに しています。 お土産屋の立ち並ぶ通りを観光客団体を避けながら足早に歩いて いると、美味しそうな香りがしました。広島といえば「牡蠣」。 殻ごと少し焼いたカキにしょう油を垂らして、立ったままで 食べました。ボクはカキが好きで生でも調理したものでもよく 食べるのですが、こういう光景の中で食べると、普段よりいくらか 美味しく感じるのは不思議です。 復路もフェリーに乗って戻り、なにごともなかったような顔をして 駐車場からクルマを出して出発。広島市街へ向かいました。 市街地はどこだって似たようなものなので街の中心を素通りして、 だけど「平和記念公園」と「原爆ドーム」は忘れずに立ち寄り、 手を合わせて来ました。 再び瀬戸内の海沿いをひた走り、呉市や安芸津町を抜けて、尾道市 へ入ったときには暗くなっていました。 「尾道」といえば大林宣彦監督のいくつもの映画で舞台になって いる地で、調べれば観るべきところはあったのでしょうが、よく 分からないままクルマでうろうろしているうちに疲れてしまいました。 カゼを治すつもりで、久々に食堂で食事をして栄養をつけることに しました。食事のあと、唯一映画のシーンで覚えていた渡船乗り場 でしばらく対岸の「向島」の明かりを眺めていました。 島の多い瀬戸内では渡船が日常の足になっていて乗り場がいくつも あり、下校途中の学生が自転車に乗ったまま岸から船へ、慣れた 様子で走り込む光景をしばらく見ていました。 尾道の観光は明るくなってからにしようと思って寝る場所を探しても、 これがまた良い場所が見つからない。気分的にもすっかり疲れて しまったので尾道はもう終わりにして、料金所を通って尾道大橋を 渡ってしまいました。 ここから四国へ渡るのです。 今年完成したばかりの「瀬戸内しまなみ海道」と呼ばれるルートの 一部で、尾道からいくつもの島を通って四国へ渡る、はじめの橋です。 ボクが渡ったのは以前からある、尾道から向島へ渡るだけの尾道大橋 ですが、山陽自動車道方面から高速道路を通ってくると新尾道大橋と いう新しく大きな橋を通ることになります。 しまなみ海道は、高速道路と有料架橋、そして途中いくつもある島の 一般道路を組み合わせた複雑なルートで、簡単に四国へ渡るだけの橋 ではありません。 ボクは尾道大橋を渡って向島の一般道路を抜け、向島インターチェンジ から高速道路へ入りました。 この道は西瀬戸自動車道という高速道路で、地図を見ると高速道路 らしくサービスエリアがあったので、2つ目の島「因島」にある 大浜パーキングエリアで夜を過ごすことにしました。 朝、パーキングエリアから海に浮かぶ島々と橋を、さらにクルマで 走りながら橋の上からも瀬戸内海を眺めました。 3つ目の島「生口島」でいったん高速道路は終わり、海沿いを通って 島の反対側にあるインターチェンジで再び高速道路、そして多々羅大橋 を渡って「大三島」へ。ここでわざわざインターチェンジから出ました。 多々羅岬の近くにある「多々羅温泉」で入浴するためです。 町営の温泉施設で、みかん畑の中にあるような静かな温泉でした。 利用客が少ない朝風呂で、気持ち良くさっぱりしてから出発。 近くで完成したばかりの「道の駅 上浦町多々羅しまなみ公園」を見つけ、 四国の「道の駅ガイドマップ」をもらうことができました。 また同じインターチェンジから入って、「伯方島」を通過し、 「大島」でいったん一般道を走ってから、来島海峡を渡る大橋を 通って今治北インターチェンジから出ました。 もうここは愛媛県の北端。四国に入りました。 ----------------------------------- 鈴木直広 / Naohiro Suzuki E-mail : naohiro@cyborg.ne.jp http://www.cyborg.ne.jp/~naohiro/ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ Subject: 四国もまわって……おわりに みなさん、こんにちは。鈴木直広です。 「旅メール その5」をお送りします。 また、とても長い文章です。 お急ぎの方は時間のある時にご覧ください。 先日の続きから。 「しまなみ海道」を通って四国に入ったところは愛媛県今治市。 今まで通りに海岸線を反時計回りに進み、北条市などを抜けて 松山市に入りました。 市街から見える松山城に近づこうと思ったのですが、松山城は 山の上にあってロープウェイで登らなくてはならず、クルマを 停めておく場所も見あたらなかったのでそのまま「道後温泉」へ。 日本最古の温泉で、漱石の「坊っちゃん」で有名な道後温泉の 木造の本館は、今も観光客が多く入浴しに訪れる建物で、ボクが 寄ったときもテレビカメラを持った取材チームが来ていました。 入浴してきたばかりなので道後温泉には入らず、先へ進みました。 松前町や双海町など伊予灘沿いの海岸線を進み、四国から西へ 突き出る佐田岬半島に少し入ったところで暗くなりはじめていた ので、半島先端まで行くのは諦め、八幡浜市から海沿いの国道を 南下しました。 この国道は山道が多く小さな港町の間を抜ける狭い道で、 すっかり暗くなってから走るのはかなりツライものがありました。 途中から少し内陸の国道へ戻り、宇和島市を通るころには雨が 降りはじめました。 入り組んだ海岸線が美しいと評判の御荘町は、夜と大雨のため 素通りして、強い雨の中、暗い山道を走ると高知県へ。 宿毛市で「道の駅 すくも」にたどり着き、ここで夜を過ごす ことにしました。雨のためクルマの窓を開けることができず、 蒸し暑く寝苦しい夜でした。 朝には雨も止み、山道から海沿いの道へ。土佐清水市に入ると 走りやすく海を眺めながらの気持ち良い道になりました。 「足摺サニーロード」と名がついている道でした。 そして足摺スカイラインを通って「足摺岬」へ。 「ジョン万次郎」の銅像がある駐車場では、バイク旅行者を 数人見かけました。品川ナンバーのバイクもありました。 それよりも、このあたりでは、いわゆる「お遍路さん」姿の四国 巡礼地を行脚する年輩の方を多く見かけました。多くは年輩の 女性、おばさんやおばあさんですが、中にはボクと同世代の 男性の姿もありました。 また、自転車に寝袋など荷物を多く積んだ旅行者や、大きな リュックを背負ったバックパッカーも、国道でよく見ました。 歩いて草木のトンネルを抜けると足摺岬灯台があり、そこから 見えるのはその名の通り、断崖絶壁。 四国最南端の地、足摺岬をあとにして、北上すると中村市。 最後の清流と呼ばれる「四万十川」が流れる町です。四万十川の 流れを眺めていると夕闇が迫ってきました。 先を急ぎました。目的地があったのです。 意気揚々と向かうは高知・桂浜。そこには「坂本龍馬」がいる はず。以前から一度見てみたいと思っていたところです。 ボクが中学生のときに初めて読んだ長編の小説が、司馬遼太郎の 「竜馬がゆく」でした。 高知市に入って、県庁周辺や高知城を見ているとすっかり暗く なりました。高知市街で龍馬生誕の碑を探してうろうろしていた のですが見つからず、諦めて桂浜公園へ。 大きな有料駐車場と土産物屋通りの奥に、クルマでは入れない ところに桂浜はありました。きれいに整地された小さな浜でした。 適当なところにクルマを停めて、興奮しながら松林の丘を上がり ました。 ライトに照らされた驚くほど大きな坂本龍馬の像が、高台の上から 土佐湾を見ていました。 「遠くを見よ」。 土佐湾から太平洋、そして世界をも視野に入れているかのような姿 でした。 暗いうちにこの場を離れるわけにはいきません。 龍馬像近くの山の上にある「坂本龍馬記念館」の駐車場にトイレを 見つけ、この駐車場で夜を過ごしました。 このあたりは高知市街から近いため、桂浜近辺やこの駐車場でも 若いグループが騒がしくしていました。 駐車場に停まっていたカーテンを張ったワンボックスのクルマの中 ではどうも人が寝ているようでしたが、そのすぐそばで大きな エンジン音を鳴らして騒いでいる若い数人がいてうるさく、ボクは いったんその場を離れて少し経ってから戻ってきました。 静かになったのは夜遅くなってからで、市街地に近い大きめの 駐車場の夜は騒々しくて困りものです。 朝、この駐車場から、心地よく土佐湾を望むことができました。 トイレで顔を洗っていると、ワンボックス車のカーテンが開いていて、 家財道具一式というくらい荷物が満載されているクルマで、札幌ナンバー でした。中ではナベが火にかけられ朝食の準備をしている様子が 見えました。 桂浜へ歩き、龍馬像の朝の姿を見てきました。朝日を浴びて、像が より大きく見えました。像のまわりも桂浜の砂浜も、朝早くから 観光客団体が来ていて、もう観光地の様相を呈してきました。 ボクと同じように「坂本龍馬記念館」の開館を待っていたバイク旅行者 の兄ちゃんと話をしていると、館の人が開館を教えてくれました。 ここは珍しくちゃんと入館料を支払って、じっくり見てきました。 この記念館の一番の見物は、数多くの手紙や海援隊隊旗(複製)など、 そして、中岡慎太郎とともに京都近江屋で最後を遂げた龍馬の 後ろに掛かっていた、血痕の付いた掛け軸です。 1867年11月、明治の時代になるほんの数ヶ月前。 龍馬33歳、志し半ばにして倒れたときのものです。 ここを見てしまうと、ボクの旅行は終わったようなものでした。 土佐湾に沿って東に向かい、途中、中岡慎太郎の生家のある北川村 に立ち寄り、さらに進んで「室戸岬」へ。 ここには大きな慎太郎の像がありました。 北上して、徳島県に入ってすぐの宍喰町で「道の駅 宍喰温泉」に 寄って入浴。 さらに北上を続け、徳島市を素通りし、淡路島から神戸へ渡るルートの ある鳴門市も通過して、香川県に入りました。 高松市などを通って、丸亀市へ。もう暗くなっていましたが、丸亀城の 城内を歩くことができました。城内では菊の展示がされていて、夜菊と ライトアップされた天守閣が、静かな夜に美しく見えました。 四国から岡山県へ渡る大きな大きな橋「瀬戸大橋」がかかる町、 宇多津町で「道の駅 うたづ臨海公園」にクルマを停めました。 瀬戸大橋は明るくなってから渡りたいと思ったのでした。 この臨海公園のあたりは、新興の商業埋め立て地のようで、 整備された道路に大きなショッピングセンターや施設が建ち並んで いました。東京で言えばお台場のようなところ。 いやな予感がしました。 やはり、臨海公園の駐車場はうるさいクルマと騒々しいグループが 集まっていました。それでも駐車場隅に停めて寝る準備をしました。 明け方近くまでエンジン音が鳴り響き、それはうるさい夜でした。 はっと気がつくと、よく晴れた朝で、まわりから人声が多く聞こえ、 駐車場は満車状態でした。 公園には子供と若いお母さんのセットが何組も集まっていて、 住宅地に近い公園で泊まったことを後悔しました。 タバコの煙を薫らせながら、海岸から一望できる瀬戸大橋を眺めたり、 犬を連れた岸から釣りをする老夫婦を見ていると、公園を掃除する おばさんにクルマの移動をお願いされ、そそくさとこの場を 離れました。 観光バスが停まる近くのドライブインで、このあたりで美味しい うどんが食べられるところを尋ねて、手打ちうどんを食べてきました。 12時前なのに満席になる人気の店で、ボクは「生じょう油」を 食べました。茹でたうどんに、カボスをしぼり、薬味と大根おろしを のせ、しょう油を少したらして食べるものでした。 コシがあって美味しいうどんで、どんな観光地に行ってもめったに 土産物を買うことのないボクが、麺を土産に買ってしまうほどでした。 それに、この夜は友人宅に泊めてもらえるようお願いするつもりでいた ので、そうなったら友人夫妻に贈ろうという考えもあったのでした。 インターチェンジから高速道路に入り、長く長く上を走る瀬戸大橋を 渡り、すぐのインターチェンジを下りて、岡山県に入りました。 たった4日で四国を一周して、本州へ戻ってきたわけです。 倉敷市や岡山市には入らず、瀬戸内海沿いを東へ。 海岸沿いの道を気持ちよく走ると、もう兵庫県。 赤穂市で赤穂城跡や大石神社に寄り、姫路市で姫路城の城内を少し 歩きました。白鷺の名を持つ白壁の天守閣は見事なものでした。 ここからはひたすら、一路、東へ。 神戸、大阪、京都、それぞれ夜の中心街を通過。 観光はもう、どうでもよくなっていました。 都会の道で久々に渋滞を味わいながら、国道1号線をただ先へ。 鈴鹿の峠を越え、琵琶湖の近くを通り、四日市、そして愛知県に入って 名古屋の郊外から岡崎へ着いたころには深夜になっていました。 岡崎市はボクの実家がある市の隣りの市で、友人宅があるのです。 走り続けてどっぷり疲れ、それでも忘れずに友人夫妻に手打ちうどんを 土産に贈り、きれいなマンションの一室なのに寝袋に入って眠りました。 朝から、混雑する1号線をひた走りました。 ボクは今まで、実家と東京との間を何度もクルマで往復していますが、 高速道路を使わずに走るのははじめてのことで、意外に新鮮な感じでした。 ただ、行楽地へ向かうクルマが多く、あちこちで渋滞するため、疲れも ひとしおでした。 伊豆半島の先端から少し手前の、堂ヶ島温泉近くの小杉原に着いたころは もう暗くなっていました。 ここが目的地。 友人らがここのキャンプ場でキャンプして集まっていました。 この集まりに間に合うよう、かなり無理して先へ進んで来たのでした。 6000キロ以上も走ってきた今回の旅行の、いちおうの終了地はここ。 伊豆のキャンプ地です。 久々に飲んで、たらふく喰って、露天風呂に入って、テントで寝る……。 ---------------------------------------------------------------------- 途中急いで割愛してきた、和歌山や三重のある紀伊半島は近いうちに 訪れたいと思っています。もちろん北海道は、いつかの楽しみにとって おいてあります。北海道をまわるドライブ旅行はとても楽しみです。 さて、長々とボクの旅行にお付き合いいただきまして、 このメールを読んでくださった方々、ありがとうございます。 金もないのに無理してドライブ旅行をしてきた、バカな男の 「旅メール」でした。 「旅メール」はここまで全部で5つ。 もし、途中の「旅メール」が届いていなくて、暇つぶしに希望される 奇特な方はボク宛てにメールをください。 今、ボクは東京で、あちこち壊れたクルマを修理に出しながら、 体を休めてのんびりしているところです。 それでは、みなさん。また今度。 ----------------------------------- 鈴木直広 / Naohiro Suzuki E-mail : naohiro@cyborg.ne.jp http://www.cyborg.ne.jp/~naohiro/ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■